22歳の原点
ポートフォリオが完成した。大学を留年するかもしれない状況であったが、ありがたいことに先生方のご厚意で無事に進級することができた。
一つ節目になったタイミングなのかなと思う今、自分が今まで何を感じてきたのか改めて整理する機会を得たのでここにまとめてみようと思う。
私のこれまで。
私は埼玉県で生まれ育ち、私の根となっている身体感覚は関東平野と東京の街並みでした。中学生のころから盆地の身体感覚に興味を持ちはじめ、盆地に住むために京都大学に入学することにしました。このときの興味・関心が今の設計でも続いていると感じます。
私が盆地のどこに興味を持っていたのかというと、精神を受け止める器としての優秀さとでも表現できるかもしれません。身体感覚は通常皮膚にとどまらず、衣服、鉛筆、部屋、...、というように拡張されたものとして感覚されます。この拡張の限界を盆地が受け止め、ある種の安心感を提供すると考えています。
この感覚を探究し、操作することが私のこれまでの設計の中で軸の1 つになっていたと感じます。ポートフォリオ上では「自我空間と境界」という言葉で表現しました。美術館課題の途中を境としてこの「自我空間」をどうとらえるかの興味の方向性は二つあります。
美術館課題以前では盆地の身体感覚の応用として「囲まれ感」に着目していました。例えばコミュニティスペース課題では部屋の六面あるうちで何面が塞がれるかに着目することで屋内- 屋外空間を反転させることを設計指針の一つとしていました。
一方美術館課題以後では「自我」と時間軸を中心として考えることが多くなりつつあります。自我- 時間軸の話はパビリオン課題の頃に同期と議論した後に考えるようになった記憶の同一性と自我同一性の関係についての考えが基になっています。記憶が統合されている事により自我同一性が保たれるという考えです。これにより個人と集団を同じ段階で考えられるようになったことは多少設計にも反映されてます。
美術館課題の途中からこの「記憶」の話を、長期的な記憶では無く、6 秒以内程度の短期的な記憶について考えてみることが多くなりました。ギブソンの周囲光配列に関する議論にかなり影響を受け、短時間で人間が移動した際の周囲光配列の変化の激しさを分析することで、安心感や興奮など人間が受ける感覚を制御することはできないか考えています。例えば集合住宅課題では生活空間をハレとケに分けて設計しましたが、ハレの空間では周囲光配列の変化を大きくし、ケの空間では周囲光配列の変化をなるべく少なくする設計を行いました。
ここまで身体感覚をどう制御するかについての興味を記しましたが、私がこのことに強い興味をもっているのは建築が人間活動をある種制限するものであると考えているからです。建築は人間に無意識的にも意識的にも多大な影響を与えてしまいます。それはかなり暴力的といえるほどの強い権力構造です。設計する側の人間はその罪を背負い責任を果たす必要があると考えます。そう考えたときに建築が人間にどのように影響するのかについてしっかり理解しなくてはならず、私もそうしたいと考えています。
もうすぐ22歳。これを私の22歳の原点とする。
高野悦子さんへ敬意をこめて。
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