盆地

高校の先生に「君はなぜ京大を志望するのか」と聞かれた私は、「盆地に住んでみたいからです」と答えた。
今思うと思春期の単なる誤魔化しも含まれていたが、他方で本心から思っていたことでもあった。盆地への憧れがあったのだ。

中学の入学前後くらいに読んだ文章で、日本は盆地が多く日本文化の中には盆地的な精神性が含まれているのだ、と書かれたものがあった。盆地はその内部で世界が完結するが故にその外部へ意識が向くことは少ないとかいう主張だった気がする。

ずっとこの文章は誰が書いた何だったのか探し続けているのだが未だに見つかっていない。だが、この文章に受けた影響は計り知れない。生まれてからずっと関東平野の真ん中に住んでいた私にとって、自分の知らない空間把握を当たり前にしている人々が存在するという話は好奇心を刺激し続けた。

 

実家の近くに大きな橋が架かっていた。高さもかなりあったのでかなり遠くまで見通せ、冬の晴れた日は60km離れた筑波山も見ることが出来た。その東は目立った山もなく、地平線までだだっ広い空が見えていた。

広い空、遠い地平線。行ったこともない知らない土地がずっと先まで続いている事を突きつけられ、子供の私は不安な気分になった。

 

地平線に関連した不安という原風景も相まって、盆地への憧れは止むことがなかった。

 

京都で暮らし始めて盆地の空間が見えてきた。

まず、ある程度の広さで領域が定まっているという特徴がある。特に京都盆地は人がある程度の土地勘をもって把握できるくらいの広さがちょうど盆地に収まる。また、外部へ出るには多少の困難が伴う。ついうっかり盆地の外部に出てしまうことは少ない。

他にも周囲の稜線が常に大体同じ形で見えており、単に青空を切り取る遮蔽縁になっているという特徴がある。遮蔽縁の持つ情報が少ないほど安心感があると考えているが、その意味でもこの稜線は盆地的な空間性に大きく寄与していると思う。

把握できる広さの空間が安定した遮蔽縁によって囲まれることで、「ここは私が安心して暮らせる空間なのだ」と感じるのではというのが今のところの盆地に対する結論だ。自分の住んでいる盆地に戻ってくると、帰ってきた感じがする。

 

 

思い返すと実家があった関東平野も完全に平坦という訳ではなかった。武蔵野台地を中小河川が浸食し、複数の谷戸地形が並んでいた。私の実家も谷戸地形の一つにあった。駅から歩いて谷に降りる時、確かに帰ってきたことを実感する。広く捉えれば盆地と似たものなのかもしれない。

地元に尾崎豊の実家がある。彼の家も同じく谷戸の下に位置している。彼の「坂の下に見えたあの街に」という歌があるが、谷戸で育った身としてはかなり共感を覚える。

「坂道のぼり あの日街を出たよ

いつも下ってた 坂道を」

 

 

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